現実性の問題 (単行本)

現実性の問題 (単行本)

 

  新刊で購入。素晴らしい。無内包の現実こそが一番根本的の方が人称や時制(〈私〉や〈今〉)よりある意味根本的だというのは、どうしてもまだ引っかかって飲み込めない。その現実が表れている(と言っちゃうと正確じゃないか。しかしとりあえず)=力が働いているという事態が、〈ココ〉で起こっている、というより〈ココ〉(=〈私〉=〈今〉)でしか起こりえないとわけで、現実が無人称的と言い切るのにどうしても躊躇してしまう。
 後は何度か書いたあことがあることとして、ニーチェとの関係。、ここでいう「力」は間違いなくニーチェ的な意味での力であり、世界の肯定や自然、永劫回帰と言ったニーチェのキーワードも、入不二哲学的な観点で捉えないとニーチェの哲学的ポイントを全く外してしまうことになるのは間違いないと思うんだけど、そういうこと言っている人が少ないのが非常に不思議。だって「力」って字面からして同じなんだから誰でも思いつきそうなもんだけど。
 さらに個人的な思い付きとして、事実と価値の関係も入不二さん的円環モデルに絡めると面白い話ができると思うんだけどなぁ。「価値」といった規範的な事柄を一歩引いた眼で=メタレベルで眺める(言ってみれば「価値」⇒「価値の事実」)ことができるわけだけど、そのメタレベルで眺めること自体にどうしても価値的要素が入ってくると思うんですよ。眺める=考える・思考するということ自体、何かを真であるとするならば。「価値の事実」⇒「価値の事実」という事実の価値、ときて、さらにこれはグルグルと続くとすれば、このグルグル自体を駆動するものとしての現実性と言う力をこれに見て取るのはそんなに無理筋ではないのでは。
 この力自体が世界の中でも自分を表すものとして現れるというのも同型だと思うし。そういう意味で、〈現実〉は通常の意味(「否定」と対になるものとして、何らかの内包を認めるという意味で)の「肯定」ではなくて、ニーチェ的な意味での「大いなる肯定」とでも言えばいいのかな。
 などなど、話はつきないが、入不二哲学の最高傑作にして哲学好きなら必ず読まなければいけない本だし、滅茶苦茶に面白いことは間違いない(読むのはかなりスタミナいるけど)。「J哲学」にまた新たな資産が追加された。
 しかし、先日読んだ飯田隆さんの本でも言われていた通り、大森荘蔵以後の日本哲学には多くの宝があるのに、哲学研究者が本書も含めた日本哲学の成果をもとにして議論するのが少ないのは、1人の哲学愛好家としてとても寂しい。何より、入不二さん含めまだまだ現役バリバリな人だったら直接議論できるのに!こんなもったいないことないでしょう。