キンドルで購入。人文系の学問の意義はそれなりに聞くべき意見だとは思うが、そこまで強力な擁護論でもない気がした。
 私が多少馴染みのある分野の哲学だと、そもそも「良き民主主義」の構成員としての「良き市民」養成の効果は、あるのかもしれないが、その他の社会科学・自然科学、さらには芸術やスポーツやらに比べて優位かと言うとそうは言い切れないのでは。ソクラテスなら何となくそんな気もするが、デカルトは?さらにニーチェウィトゲンシュタイン流の哲学なんて、逆に害になるんじゃないの?
 クリシン的思考力や共感能力の涵養には確かに文学や演劇などが資する可能性はそりゃ確かにあるでしょう。でも、将棋やチェスだってそういう効果持ちうるだろうし、心理学や経済学をしっかり学ぶことで、クリシンだとか多面的な思考(=共感能力)も鍛えられるのでは。つまり、人文学じゃなきゃいけないという論証がないんじゃないかと。
 確かにシカゴの合唱団のような例は素晴らしいとは思うが、教師の権力欲の発露の場でしかない日本のブラック部活(スポーツだけじゃなくて、吹奏楽なんかメチャブラックらしいじゃん)なんて、逆にアホな体育会的文化の温床になっていることを考えると、逆効果すらありうるんじゃないでしょうか。
 上手くいっている例も所詮は金持ちなとこだけなんじゃないのかと(一応貧しい場所での成功例もあげられてはいるが)。読み書き算盤がまともにできない、かつ経済的にも厳しい教育状況で、歌うたいましょうといってもエリート主義との批判は免れないかと。一応最後でエリート主義との批判に反論してるけど、押し返し切れてはいないような気がした。
 その他、アメリカが相対的に人文学が生き残っている(イギリスが全然だめ。韓国が多少マシ)というのは意外だった。
 結局人文学を擁護するにしても、この路線だと「じゃあ他と比べてどの程度良き市民養成として効果的なの?」という批判に対して、証拠を出して反論するしかないとなると、批判している相手の「経済的思考」という土俵に乗ることになるし、まあ厳しいようね。
 じゃあ完全にそういう思考とは別の意義を求めるとなると、そもそも宿命的に多数派に受け入れられるようなもんじゃないとあきらめるしかないのかもしれない。まあそういう「村はずれのキ〇ガイ」方針もそう悪いもんじゃないでしょう。
 一応翻訳あるみたいなので、そちらで読めば十分かと。
 余談。日本でなぜか義務教育にダンスがしばらく前に導入されたみたいだけど(個人的には凄絶な愚行だと思う)、まさか背景にヌスバウム的な思想があって導入したということじゃないよね?もしそうなら多少は文科省も脳みそあるなという感じだが、まあそうじゃないだろうな……。
 余談その2。まさに今日本版キャンセルカルチャー事件的なオープンレター問題が話題になっているので、そういう視点からもヌスバウムは示唆に富むでしょう。リベラル寄りの大学教授レベルのインテリなら読んでいる人も多いんだろうけど、そんなに言及されていないような。『怒りと許し』なんてこの事件にタイトルからしてピッタリじゃん。