新刊で購入。ニーチェを援用した中島流の善人攻撃の書。いつもより攻撃が激しい。中身も、ニーチェの精神を十分汲んだものとなっている。面白い。
 その中でも、ニーチェを好んで読む私のような人間への批判は身につまされた。しかし、もうこういった言語空間へ入り込んでしまった時点で、(おそらくはニーチェ自身も含めて)弱者(善人)であることを逃れることは誰にもできないのではないか。それは、本書にも、そしてこのブログの記述にも当てはまる。端的に強者(超人)であることと、弱者・善人を激しく攻撃することには、大きな齟齬があるに違いない。
弱者と強者の違いを理解・認識することと、強者であること、その違いと言ってもいいだろう。
 こういった構造こそが、我々が道徳空間から逃れられないことの証拠だと個人的には思うのだが。
 ちょっと面白い指摘。

 直ちに目に付くのは、彼らの批判の仕方が世間的な価値観にぴったり寄り添っていることである。
 学歴、肉体の美、育ちのよさ、特殊技能、金銭的豊かさ、知名度など現代日本で賞賛されていることをそのまま受け入れ、「チビ、ハゲ、ブサメン、ブス、チカン、中卒」など、その欠如体を恐ろしいほどストレートに蹴落とす。彼らが世間的価値観の大枠を越えていないことは、といっても「メクラ、ツンボ、ビッコ、カタワ、クロンボ」などの差別語を撒き散らすことが(ほとんど)ないことによってもわかる。(p.38)

 確かに、ネット上では他人を攻撃する書き込みが溢れているが、差別語の使用頻度は非常に低い気がする。単に書き込んでる連中が知らないだけという気がしないでもないが、上記の指摘も一理あるのではないか。
 どうでもいいけど、100ページと104ページ(104ページのほうを削ればいいのかな)、全く同じ文言が出てくるけど、これに気付かない編集者や校閲者はちょっと恥ずかしいのでは。