教養としての歴史 日本の近代〈上〉 (新潮新書)

教養としての歴史 日本の近代〈上〉 (新潮新書)

教養としての歴史 日本の近代〈下〉 (新潮新書)

教養としての歴史 日本の近代〈下〉 (新潮新書)

 図書館で借りて読了。福田和也は啓蒙書の書き手としても優れていると確認できる内容。とても勉強になる。日本の近代史を学ぶなら、高校の教科書で覚えるよりこっちを読んだほうが絶対にいいと思う。
 ところで、本書で紹介されていた資料の中に、素晴らしい文章があったので、長くて孫引きになってしまうがここに書きとめておく。(上記書下巻pp.98-99で引用されている)

 私の虚無主義については前回以来申し上げたところによって尽きていると思います。一口にいえば私の思想これに基づく私の運動は生物の絶滅運動であります。
 親の愛という美名のもとに私をふみにじった親の権力、博愛の名に隠れて、私を虐げた国家社会の権力、私はこの権力がたまならく癪に触ります。
 地上における生けとし生ける者すべての間に絶えず行われる生きんがための闘争、生きんがための殺し合いの社会的事実を見て、私はもし地上に絶対普遍の真理というものがあるとしたなら、それは生物界における弱肉強食こそ宇宙の法則であり、真理であろうと思います。すでに生の闘争と優勝劣敗の真理とを認める以上、私には「アイデイアリスト」(理想主義者)の仲間入をして、無権力、無支配の社会を建設するというような幸福な考え方のまではできません。しかも生物がこの地上から蔭を潜めぬ限り、この関係による権力が終止せず、権力者は呶々として事故の権力を擁護して、弱者を虐げる以上、そうして私の過去の生活すべての権力から踏みにじられて来たものである以上、私はすべての権力を否認して反逆して、自分はもとより人類の絶滅を期してその運動を計っていたのであります。
 (鈴木裕子編『金子文子 わたしは私自身を生きる』)