吉本隆明という「共同幻想」

吉本隆明という「共同幻想」

 新刊で購入。猫猫先生は、呉夫子の贖罪の書と書いていたけど、確かにそんな感じ。
 私も若いとき呉さんの『読書家の新技術』の中で、「マチウ書試論」や『共同幻想論』は重要だと書かれていたので、そんなもんなのかなと思って、古本で『共同幻想論』や『最後の親鸞』を買ったんだけど、結局読んでよく分からなくて、捨ててしまったんですよ。他にも『ハイ・イメージ論』を図書館のリサイクル図書で貰ってきたりしてチャレンジしたんだけど、やっぱりまともに読めなくて捨ててしまった。
 で、本書を読んで、「あーこりゃ分かんなくて当然だ」とホッとしました。例えば、「マチウ書試論」の「メシヤ・ジェジュ」「予約」(p.19)なんて、もう知的ハッタリと通り越して嫌がらせですな。他にも、中で引かれている吉本さんの文章の悪文たるや、ほとんどギャクレベルですよ。もういちいち呉さんの翻訳(!)読むたびごとに笑ってしまう始末。
 で、結局そういったものをより分けて中心的な主張を見てみると、ほとんど何の価値もないひどく凡庸な主張しかしてないじゃん。「関係の絶対性」なんて、人間は周りの影響を強く受けるって以上に中身ないでしょ。
 若いときはマウンティングされないようにという身構えはあってもいいと思うし、それによって小難しい本を読むことになるのは意味がないわけじゃない。だけど、難解ながらも中身があるなら救いがあるんだけど、こんなもの解読してもしょうもないでしょ。まあ我々の年代だと吉本隆明じゃなくて、ポストモダン関連になるんでしょうね。さすがに吉本さんよりは中身があるもの少しはあると思うんだけど・・・。
 これまた猫猫先生が書いてたとおり、20年前とは言わずともせめて10年前に出てたらね〜。最後の方で紹介されてる2005年出版『中学生のための社会科』(pp.210-212)の中身なんか、何考えて出版したのか分からないくらい滅茶苦茶だもん。リアルタイムで批判できていたらもっと意義があったのに。
 と色々書きましたが、そういったこと抜きにして、呉夫子の鋭く笑えるつっこみを堪能するだけでも楽しめます。