新刊で購入。もちろんNHK出版版持っているので、巻末増補目当てで。

 ついでに再読して、改めて永井哲学の影響を離れて哲学的に考えることが難しくなってしまっているのを自覚した。西田は『善の研究』しか読んでないけど、明らかに純粋経験って《開闢》=《私》を言わんとしているとしか読めないもんね。

 追加分のテキストは最近の時間論の展開とからめての短めの論述。しかし中身は興味深く、哲学愛好家ならそれだけで購入の価値あり。

 しかし、今と私が神によって殺され(ることで生まれて)、また次に神によって殺され(ることで生まれされられ)てもとの(本来の)無の場所へ引き戻されるって、キリスト教の復活と仏教の解脱に対応させてるけど、これ解釈のしようによっては滅茶苦茶危ないもの言いな気がする。ポアの思想(のもとにある思考)と字面だけ見ると変わらないような……。

 哲学者なら、「それが何か?」とそんなこと気にせずひたすら考えるということも必要だとは思うものの、そこは単なる愛好家の私みたいな人間には少し気になってしまう。