二日連続飲酒(飲酒したときは服薬も避けている)、かつ睡眠時間短めで普通にしごとができるかどうか大分心配したが、前回の同状況のような明らかな不調まではいたらず。
ただ少し冴えない嫌な感じはすることはするので、回復はしているがまだ十分ではないんだろう。油断は禁物。今回は行きつけの割烹に急きょ行くことになった関係で連日飲酒になってしまったが、できるだけ避けないといけませんな。
定期訪問の中華屋へ晩飯で。
ホッキ貝のピリ辛トマトソース、前菜盛り合わせ、シャモとクレソンと干しタコとフカヒレのスープ、山菜と平貝のみそ炒め、車エビ揚げ物とタケノコ、フキノトウとバナイ海老の揚げ団子、ホワイトアスパラピータンソース、短角牛ステーキ、アンコウの麦麹中華そば、デザート。
シャモスープが素晴らしく美味かったなぁ。季節ものの各種山菜、短角牛、車エビなども非常に良かった。
どうも忙しさで料理の精度が多少上下するような気がするんだよなぁ。忙しい時でも美味いんだけど、余裕があるときは明らかにパワーアップしているような。
いつかは誘いたいと思っていた行きつけの割烹に一緒に行く算段もつき(潰れないうちに!)、お土産も貰っていつも通り大満足でございました。
図書館で借りて読了。
晩学で料理人になり、かつ複数店舗経営に成功しているだけあってしっかり考えて料理・経営しているなと。
味や料理についてはまあフンフンそうだねくらいの中身で、むしろ経営寄りの要素をの方が目だつ気がする。そういう意味ではビジネス書っぽい。
飲食店やりたい人は参考になるだろうし、このくらいは最低限踏まえていて当然というところか。
ただねぇ、経営志向が強い料理人が真に美味しい料理を作れるのかというと、どうもそんな気もしないんですよねぇ。世間人・家庭人・社会人としてはそちらのほうが良いに決まってるんだけど、経営志向(=世間性)ってどうしても「美」を生み出すことと相性が良くないという思いがぬぐえないわけですよ。
ある種のアナクロなロマンティシズムだと批判されそうだけど、行きつけの割烹の、真の天才料理人を現にサンプルで見てしまってるからなぁ。
ビジネス書っぽいので、スイスイ読めるのは助かりました。
図書館で借りて読了。
フランスで博士号を取得までしながら、健康を害し工場勤務など全く博士号が生きない職で働くという境遇に共感し読んでみた。
うーん、残念ながら哲学的な面白さは私はあまり感じられず正直物足りない。後半の宗教や人生の方が前半の自我論などよりもまだ面白いかな。
ゲーム的・知的遊戯的な分析哲学的哲学にある種の不健全さを感じるのは分かるが、かといって最初っから救いを求めて哲学をするというのも「哲学の思想への頽落」だろうし、著者に少しそういう傾向を感じて、そこに私は警戒感をどうしても持ってしまう。
日本の出身大学・大学院が分からないのも少しモヤモヤ。アカポスつけなかったのがなぜなのかのそこそこ効いてくる要素だろうからね。東大・京大・旧帝大出身なのかそれ以外なのかで大分受ける印象が変わるだろうし。
図書館で借りて読了。
600ページ近いボリュームにもかかわらず、滑らかな文章とややベタなだけど良いテンポのドラマ展開で一気に読ませる。かなりの筆力を感じさせる。
ザ・下流社会ポルノ的エンタメで読ませる・売れるという要素は間違いなくあるが、後半の3人の少女たちの仲たがいなどは怖いくらい真に迫っていて、題材だけに頼ってないのは素直に感心した。
ちょっとアマゾンレヴューなど目を通した限り、黄美子さんの役割をきっちり指摘しているのが見当たらないのは不思議だ。聖なる愚者、マレビト、座敷童、といったような救済者がどういった存在でどのような役割を果たしているかを解釈しないと、この物語の芯は評価できないでしょ。
神通力を失った聖愚者との再会で幕を閉じるのは、独特の読後感がありますな。
何かモトネタ的作品ありそうな気もする。識者の方の指摘プリーズ。
いずれにせよ力作で久しぶりに小説を楽しんで読んだ気がする。